
DUKE PAOA KAHANAMOKU
デューク パオア カハナモク
(1890-1968)
ハワイ初のオリンピック金メダリスト
サーフィンの父
デューク カハナモクはハワイで最初のオリンピックメダリストである。彼は4つのオリンピックに出場した
: 1912年スウェーデン ストックホルム大会(金メダル1個、銀メダル1個);
1920年ベルギー アントワープ大会(金メダル2個);
1924年パリ大会(銀メダル1個); 1932年ロサンゼルス大会(銅メダル1個)。
デュークは全部で6個のメダルを獲得したのである! オリンピック・ホール・オブ・フェイム(オリンピックの殿堂)にも堂々選ばれた彼は、
42歳の時に競泳の世界から引退した。
さらにデュークは、アマチュア・スポーツ・ユニオン屋外選手権において100メートルフリースタイルで1916年、1917年、そして1920年の三度に渡って優勝。アメリカ代表のハワイアン、
デュークは「世界一速いスイマー」として、Johnny Weissmullerをしのぐようになった。デュークは時代遅れの”あおり足”をやめ、新たな”ばた足.”を取り入れたのだった。
1924年のオリンピック・パリ大会では、カハナモクの兄弟のうちデューク、サム、デービッドの3人がアメリカ代表チームとして選ばれた。
デュークは100メートルフリースタイルで銀メダルをとり、サムも同種目で銅メダルを獲得した。
また、デュークは他のスポーツにも携わった。1908年、デュークと彼の友人達はアマチュアサーフィンクラブの一つ、「フイ・ナル
(Hui Nalu)」 (波のクラブ)を作った。彼らは波のコンディションを話し合ったり、今日でも使われているサーフィンのいくつかのルールを考案した。
名高い水泳選手として、デュークは赤十字の依頼で水上安全のメソッドを教えるために世界中をまわった。どこを訪れても、彼はいつも彼の初恋の相手
− サーフィンをみんなに紹介した。
カハナモク兄弟 (左から):
ビル、サム、ルイス、デービッド、サージェント、そしてデューク
写真提供:ビショップ博物館 Tai Sing Loo
デュークはまた、1919年に二人乗りサーフィン(一人がもう一人の方に座る)を始めた他、ウィンドサーフィン(サーフボードにセイルをつけたもの)とウェイクサーフィン(モーターボートに引かせてその航跡に乗る)を最初に始めた人物でもある。
1912年3月12日、アメリカのガールスカウトが始まる。;
最初の呼び名はアメリカン・ガールガイド(American Girl
Guides)だった。 |